※写真をクリックすると別窓で表示されます


5/29(月)

・おいしい朝食

ホテルにて朝食。
でも、レストランに行くのに外を歩く・・・。
ま、いいか。

日本語のメニューをくれて、色々あるの。
トーストから、麺から、ご飯から。
私はお粥を頼みました。

これがね、昨日の夕飯の50倍ぐらいおいしかった。
イイお出汁!
しかも、フルーツ、コーヒーつき。
ステキング☆

最後の日に「トンレサップ湖」へ行くツアーを追加したため、今日はハードです。
8時半集合

・アンコールトム

大きな都という意味を持つアンコール・トムは一辺が3km、周囲12kmの城壁に囲まれている。
12世紀後半から13世紀初頭にジャヤヴァルマン7世によってアンコール・トムの中央に位置するバイヨン、
ライ王のテラス、象のテラス等が建設され、また幅120mの環が掘られ現在の形となっている。
バイヨンから城壁の東西南北には四面仏とも呼ばれる観世音菩薩を頂いた門が造られ、南大門では神々と阿修羅がナーガ
(蛇神)の胴体を引き合う像が出迎え、西に西大門、東に死者の門、象のテラスから延びる勝利の門、北に北大門がある。


・南大門

壕に架かる橋の欄干には乳海攪拌の神話をモチーフに、左に神々、右に阿修羅がそれぞれ54体ずつ、大蛇の胴体を抱えて
綱引きをするような姿が描かれている。
大門の高さは25m、3mの菩薩の顔が東西南北を向いて4体あり、それぞれの顔が喜怒哀楽を表現している。

  


・バイヨン ジャヤバルマン7世 12世紀

アンコール・トムの中央にあるバイヨンは、古代インドの宇宙観による神々の住む聖域であり、神の降臨する場所である
メール山を象徴化し、宇宙観を具体化した仏教寺院である。
第一回廊と第二回廊に囲まれた中央には高さ42mの本殿がそびえ、四面体の観世音菩薩は寺院内に計49体、
五城門に1体ずつある菩薩像を合計すると54体ある。
ちなみにこれは、環壕に架かる橋に描かれた神々と阿修羅像の数と同じ。


東西160m、南北140mの第一回廊の壁画には、神話や勇ましい戦闘の様子だけでなく、当時の庶民生活の様子が
生き生きと写実的に浮き彫りにされている。



第二回廊の壁画はおもにヒンズー教の神話や伝説が主題となっている。

第二回廊を抜けると、中央本殿への踊り場に出る。
本殿の内部は合計すると16の礼拝堂に小さく区分されている。
本殿だけでも16体もの四面体菩薩像があり、ここではどこにいても菩薩像の姿を拝める。



なんだか不思議な空間でした。
どこを見ても顔顔顔。
でも、ぜんぜん不気味とかそんなんじゃないんです。
むしろ心穏やかになる感じ
同じような写真のように見えますが、全部顔が違うんです。

あと、ここでは色んなポーズをさせられます。

「ここ立って。横向いて。ちょっと顔を上に向けて」
って、これは遠近法で、この菩薩さんとキスするような写真を撮られていました。
横で見ていた外人さんが「目つぶって!」って。
人で遊ぶなよ!


・バプーオン ウッシャータッシャーヴァルマン二世

11世紀中ごろ、隠し子(子隠し)という意味を持つヒンズー教寺院。
3層からなるピラミッド型の寺院で、円柱に支えられた200mに及ぶ空中参道を歩いて寺院に辿り着く。
寺院内は現在修復工事中のため参観できない。



・象のテラス ジャヤバルマン七世 12世紀末


「象のテラス」は十二世紀後半、ジャヤヴァルマン七世によって作られ、王族の閲兵などに使われた。
高さ3m、長さは300m以上もあり、テラスの上にはナーガの欄干がある。
側壁には象使いの躍動感のある彫刻がなされ、続いてガルーダのレリーフ、象のレリーフ、
再びガルーダのレリーフと続いている。
王宮の塔門前のテラスは、東に真直ぐ勝利の門に続く道があり、戦地から凱旋してきた兵士たちを
王族たちがこのテラスから閲兵した。


このテラスの上には無数の穴が開いていて、それは扇を刺した穴らしいです。
王様は扇の数が多ければ多いほど、位が上なんですって。
でも・・・
必要ないよね(コラ)


・ライ王のテラス ジャヤバルマン七世 12世紀末

約6mの高さのテラスの外壁に、レリーフが6段に分けて掘られている。
外壁は二重になっており、内壁と外壁の間は迷路のようになっている。




・タプロム寺院 ジャヤバルマン七世 12世紀末

12世紀にジャヤヴァルマン七世が母の菩提を弔うために建てた仏教寺院。
東西1000m、南北600mの周壁に囲まれた境内は回廊が縦横無尽に結ばれていたが、自然による侵食を受け、
現在ではその大部分が倒壊の危機にひんしている。
13世紀後半より相次ぐシャム軍の侵略や国内の分断などの結果、数百年の歳月にわたり放置され続けることとなるが、
この寺院の周辺はとりわけ森が深く、侵食のきっかけは小鳥たちがガジュマルの種を口にして糞を落としたことから始まった。今や遺跡全体を覆いつくす勢いで成長したガジュマルの姿を目の当たりにすると、南国における大自然の猛威に息をのむ。
「天空の城ラピュタ」のモデルになっていたり、「トゥームレーダー」の撮影舞台にもなった。


すごいでしょ?
怪物みたい!(表現力が乏しくてスミマセン;)
でも、ホント、すごいんですよ。
上に書いてある通り、「倒壊の危機」ですよ。
中に入ると、地面には崩れた石が積み重なっていて、天井も石が折り重なってるの。
ワーナさんに「上見て。あぶないねぇ〜」って、脅されました。
カンボジアは地震がないから、これだけ残っているんですって。

ここで、ランチ。
中華料理?でもタイカレーが出てきたぞ。
もうヘトヘトであまり食欲がなかったが、カレーはちゃんといただきました。

本当はここで休憩だけど、私は休憩なし!
大丈夫、頑張る!


・プリヤカーン ジャヤバルマン七世 1191年

ジャヤヴァルマン7世が母親の菩提寺(タプロム寺院)に続いて、父親の霊を弔うために建てた仏教寺院。
境内には王権の象徴でもある「プリヤカーン(黄金の聖剣)」を奉納する武具館があり、
アンコール遺跡では珍しい2階建ての石造建築。




・ニャックポアン ジャヤバルマン七世 12世紀末

観世音菩薩による慈愛の力で国内が平定されることを願う7世王は、不思議な治癒力があるという神々の聖池を
地上世界に再現するために、この沐浴池を造成した。
1辺70mの中央大池と司法の小池で構成され、小池へ流れ出る水口には東から順に、人間、馬、獅子、象の顔が
かたどられている。


患者は干支による占いでどの小池に入るかを指示されるらしい。
私は・・・獅子だったっけかな?

暑さと疲労でもうヘトヘトで、ここでしばらく休憩。
日陰に座って、カンボジアと日本の違いについて色々と話した。
ま、これは最後にまとめて。

・東メボン ラージェンドラヴァルマン二世 952年
巨大な貯水池である東バライの中央に建設されたヒンズー教寺院。
中央祠堂の四方を囲む尖塔が立ち、レンガ、砂岩、ラテライトが使い分けられた、三層のピラミッド式寺院。
二重の周壁に囲まれた四隅には巨大な象の石像が置かれている。



・バンテアイ・スレイ ラージェンドラヴァルマン二世 967年

シェムリアップの街から40km、アンコール王朝摂政役の王の師ヤッニャッヴァラーハの菩提寺として建設された、
「女の砦」の意味を持つヒンズー教寺院。
珍しい赤色砂岩が多用され、ヒンズー神話を題材とした浮き彫りの装飾はアンコール芸術随一の秀逸品といわれ、
アンコールの至宝とも呼ばれている遺跡である。
特に中央祠堂に描かれているデヴァター像はかつて西欧で「東洋のモナリザ」と絶賛されたほど。


門のレリーフ


参道、経蔵、祠堂、奥に見える女神像


なぜここだけ、こんなに写真が多いか。
それは一番好きだから。
だって、すっごいキレイなんだもん。
赤色砂岩だってのもあるけど、全体的にも美しい。
「女の砦」って、納得納得!
一つ一つの彫刻に見入ってしまいました。

・プレループ ラージェンドラヴァルマン二世 961年
東メボンの9年後、同様式で建てられているが、一層の高さが高く、また規模が大きく壮大である。
東塔門と中央伽藍の間に置かれた石棺で死者を荼毘に付した際、死者をかたどった線と違う向きの線を描く儀式が行われたということから、「体をひっくり返す」の意味を持つヒンズー教寺院。


昨日の夕日のリベンジ。
確かに中央祠堂からの眺めは雄大で美しいが・・・あれ?あれあれ?

遠くにぼんやり夕焼けが。
あ、あっちでは雨も降っている・・・。
ということで、リベンジなりませんでした;;

夕食は何料理だったか忘れた・・・。
日本人ツアー客が寄るところらしく、おじさん団体がいた。
あーあ、イヤだイヤだ。
ま、仕方ないか、私もツアーだから。

本当によく歩いた1日だった。
暑さも半端ではないので、すっごい汗をかいた。
絶対、絶対に痩せた!!!

ホテルについて、重い足を1段ずつ上げながら3階までトボトボ登っていた時、最後の1段で・・・
足が上がらなくて・・・
つまずいて・・・
弁慶を強打・・・

大きなアザ完成


酷使しすぎだよ、私の足。

schedule ← day before  page top next day→

Copyright(c)2006 for a change. All Right Reserved.